源平盛衰記・屋島古戦場
平成18年10月
一の谷で敗北した平家軍は、ここ屋島に陣を張ります。
瀬戸内海は大小の島々があり自然の要塞。
源氏軍の海側からの攻めを備えていた平家軍。
ところが讃岐から密かに上陸していた義経軍に背後を急襲され
平家軍は大慌て。大勢討たれました。
そんな中、多くの伝説・お話が語り継がれています。
・義経の弓流し
・那須与一の扇の的
・佐藤継信の最期
・悪七兵衛景清の錣引き
ここ屋島には多くの源平史跡が残っています。
この山が「屋島」です。山の上には「屋島寺」があります。上からは海の古戦場がよく見えます。麓を流れる川を「相引川」といい海水と真水が入り混じるそうです。「相引に引く潮の」と言う「屋島」の謡の言葉に納得です。 菊王丸のお墓です。菊王丸は平経経の家来。義経をかばって亡くなった、佐藤継信のお話のところに登場する人物です。
安徳神社です。ここは屋島で安徳帝御幸の際の仮の御所があったところ。その後安徳天皇を奉り神社となりました。 安徳社にありました。石が積み上げられていました。これは、源平合戦後あちこちに立てられたお墓。その墓もいつしか朽ち果て、その様子を見た土地の人がいつしか、ここへ集めたそうです。
安徳社より見える、屋島の海です。 屋島の伝説の有名な話の一つに那須与一の扇の的がありますね。ここがその現場です。矢を射る前、与一はこの岩に祈願をしたそうで「いのり岩」と呼ばれています。
そしてこれが「駒
立岩」。波間より
射る際、与一は
この岩に駒を立
て、足元を固め
て射たそうです。
駒立岩より船上を
見た図です。結構
遠いです。この距
離、足元の定まら
ない波間、そして
波にゆられる船上
の扇を射た与一は
、凄い!人です。
ここから数十メート
ルの所に「弓流し
跡」があります。

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