お江戸の旅(上野〜谷中編その2)
平成20年3月
昨年もお花見に訪れた上野公園。
昨年は雨でしたが今年は快晴。
花見の名所上野〜谷中を散策しました。
この日午前中は雨だったそうですが、私が東京へ着く頃には雨はあがり青空が広がっていました。 上野公園は、大勢の人で賑わっていました。しかしお昼ごろまで雨だった影響でしょうか、宴会をしている人は少なかったです。
やっぱ桜は青空バックでないとね。
綺麗ですよねー。
週末に祗園で行うイベントが京都・清水寺のお話「田村」なので東京の清水さんへ行きました。上野公園内にあります。寛永寺・清水観音堂です。そこへ行く階段を「清水坂」といいます。
観音堂を下から見た図。 これが舞台の部分です。
こちらは、西郷隆盛像。近代化への明治時代を導いた人。この像は、山手線から見えますね。 こちらも明治時代への道の遺構。「彰義隊の墓」明治政府に抵抗した旧幕府軍の彰義隊。上野の山に立て籠もりましたが、大村益次郎率いる政府軍にたった半日で打ち破られてしましたした。墓石に彰義隊の文字はなくただ「戦死之墓」とだけ刻まれています。新政府にはばかってのことです。
不忍池です。右に見えるは弁天堂。
江戸時代天海僧正が、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島のように島を造りました。その後、竹生島の弁天さんを勧進して、弁天堂を建てたのです。
上野・東京国立博物館にある黒門です。鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門であったものです。明治になり、当時の東宮御所正門として移され、次に高松宮邸に。さらに現在の地、上野・東京国立博物館に移築されました。東大の赤門。そして上野の黒門です。
谷中の「さくら通」です。通りの名の通り、桜並木です。ちなみに両側は、墓地です。「谷中墓地」の中の道です。ここ谷中墓地は多くの有名人も眠っていられます。大学に通うために毎日通った道です。 こちらも桜通り。

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