お江戸の旅(泉岳寺編)
平成20年2月
2月3日の節分に東京教室の発表会を行いました。
当日は、雪に見舞われた東京。
その翌日4日。前日の雪が嘘のような快晴の東京。
せっかくなので、東京散策に出かけました。
再放送中であった三船敏郎主演の「大忠臣蔵」にはまり、
赤穂浪士を尋ねる旅をしました。
まず向かったのは「泉岳寺」
元禄・赤穂事件といわれる、江戸城松の大廊下にての
赤穂藩主・浅野長矩の吉良上野介に対する刃傷。
その後、即日切腹であった浅野長矩は、浅野家の菩提寺である
品川・泉岳寺に埋葬されました。
そして翌年12月。見事本懐を遂げた赤穂浪士。
浪士は四大名家にお預けになり、翌年2月各大名家にて切腹となりました。
浪士たちも主君と同じ品川・泉岳寺に埋葬されました。
まず、見えてくるのは「中門」。天保の再建という事は、赤穂事件の時にはなかったわけですねー。 次は「山門」。これも天保の再建。二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつがはめ込まれているそうです。
本堂は第二次世界大戦の空襲で焼失してしまい、この本堂は昭和28年落成だそうです。ご本尊は釈迦如来。曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天などが納められているそうですよ。 「首洗い井戸」です。吉良上野介の首級をこの井戸水で洗って、主君の墓前に供え報告したのです。「首洗い井戸」は、吉良邸跡にもあります。
この門の向こうに、浅野家と四十七士のお墓があります。この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門で、明治時代取り壊される前にここに移築されたものです。 こちらは、浅野長矩のお墓。手前右には、妻である「瑶泉院」のお墓があります。
右端が、主君・浅野長矩の墓所。
左に赤穂義士のお墓が並んでいます。
また、本懐成就後、瑶泉院などに討入りを報告して廻ったとされる「寺坂吉右衛門」。江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うし、お墓は曹渓寺にあるそうです。こちらにあるの明治に建てられた供養墓。また、義兄に亡骸を引き取られた、間新六もお墓はなく供養墓としてあります。討入り前に切腹した萱野三平の供養墓もあります。なので、泉岳寺の墓碑は48あります。
こちらは、大石内蔵之助のお墓。
一番お線香が多いですね。
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている石です。この隣には、義士の墓守りをした妙海法尼が瑶泉院から賜った鉢植えの梅を移植したものと、大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅が植えられています。 大石内蔵助の銅像です。手には連判状を持ち、江戸のある東の空をじっとにらんでいる姿を表したものだそうです。

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