高松城跡 玉藻公園
平成19年2月
高松藩初代藩主・松平頼重は、水戸黄門と呼ばれる徳川光圀のお兄さん。
光圀は兄を差し置いて水戸藩主になった事を悔やみ、頼重の子を養子に迎え
水戸藩主としたそうです。また頼重も光圀の子を迎え、二代目高松藩主にしたそうです。
お城は、玉藻城とも呼ばれお城は瀬戸内海に面しています。元は生駒氏の居城でしたが、
生駒氏のお家騒動で生駒氏が出羽国に移され、その後家康の孫である松平頼重が
入城し、以後幕末まで200数十年松平氏が治めました。
明治維新後は、版籍奉還により廃城となり、政府管轄になりましたが
松平氏に払い下げられ、昭和には高松市に譲渡され玉藻公園として
一般開放される事となったそうです。現在高松城に、天守閣はありません。
明治時代、老朽化により取り壊されました。
玉藻公園の入り口です。 とってもお天気が良く、暖かく最高の日和でした。梅の花も満開。
このお城は海際に
建っています。お堀
の水は、瀬戸内海
の海水なんですって。
普通のお堀には、
鯉なんかが泳いで
ますよね。最近は
ブラックバスらしい
ですけど。でもここ
は海水。ちょっと見
難いですが、鯛が
泳いでました。あと
、クラゲなんかもい
ましたよ。
水手御門と渡櫓。この左に月見櫓があります。水手御門は海からの大手門。海からそのまま入る門ですね。でも水が無いですよね。それは引き潮だからです。 左の写真を裏から撮りました。右にある大きな建物が月見櫓です。月見櫓ですが、藩主が江戸からお帰りになられるのをこの櫓から見たので「着見櫓」とも呼ばれています。
「月見櫓」を別角度
から。こうやって見
ると天守閣みたい
ですね。
内苑のお庭です。
ここは大正時代に
造園されました。
物凄く綺麗に手入
れされていて、な
んだか緊張感の
漂うお庭でした。
上の梅はここで撮
影しました。
「桜御門」跡です。昭和まで立派な門が残っていたそうですが、昭和20年の高松空襲で消失したそうです。 桜御門の石垣です。黒くなっているのは、戦火で焦げたあとだそうです。
桜御門の外に広がる「桜の馬場」。昔はもっと広く、ここで馬術訓練をしたそうです。左手の石垣が、天守閣跡です。数年前は、この広場で「玉藻城薪能」が開催されていました。 天守閣跡に続く道です。鳥居があるのは、天守閣取り壊しのあとに玉藻廟という初代藩主・松平頼重を祭った祠があるからです。現在は、石垣補修工事のため何もありません。

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