お江戸の旅(水天宮・日本橋編)
平成19年9月
お稽古で月2回東京へ行くようになりました。
東京に住んでいたとはいえ、言ったことのないところは
まだまだ沢山あります。
今回、色々と所要であちこち、動きまわりました。
ついでにその近所の、観光地へ寄って歩いたのです。
水天宮です。御祭神は「天御中主大神」「安徳天皇」「二位尼」「建礼門院」です。水天宮は、福岡の久留米が総本社。安徳帝に仕えていた官女・按察使局(あぜちのつぼね)は壇ノ浦から逃れ、筑後川に辿り着き川のほとりに小さな祠を建て安徳天皇と平家一族の霊を慰め過ごしました。これが水天宮の起源だそうです。その後、久留米藩主・有馬忠頼公により大きな社殿が造られました。さらに九代藩主・有馬頼徳が、参勤交代の折に水天宮にお参りできないので江戸の屋敷内に勧請したのです。明治期、屋敷移転と共に赤坂へ、そして現在の地に移ったのです。 江戸時代、水天宮は屋敷内の神社であったため、一般の人はお参りすることができませんでした。しかし江戸の人々の信仰が次第に高まり、塀越しに賽銭を投げ込む人が後を絶たず、遂に五の日に限って屋敷を開放し一般の参拝が許されました。江戸庶民は「情け有馬の水天宮」と洒落て言うようになりました。「恐れ入りやの鬼子母神」「なんだ神田の大明神」なんかも、同じですね。
さて、半蔵門線「水天宮駅」より東西線に乗り換えるべく「日本橋」まで歩くことにしました。途中で見つけた「甘酒横丁」
いい名前ですね。
日本橋三越。真ん中に○越のマーク。形といい大きな船に見えるのは、私だけ?
さて、東海道五十三次の起点。日本橋。五十三次目の「京都三条大橋」はよく渡るのですが、日本橋は初めて。 「日本橋」なんかいいですね。くれぐれも、大阪ではないです。
「日本橋魚市場発祥地」の碑。江戸で消費される魚は、ここで荷揚げされ市場となっていたそうです。関東大震災の後、現在の築地へ移ったそうです。そして、また築地から移動するとかしないとか・・・。

日本橋里程標(西日本)です。最後は鹿児島でした。

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