春の京都はこんな感じ2(嵐山・清涼寺編)
平成18年4月
「嵯峨釈迦堂」の愛称で親しまれる清涼寺。
ご本尊の釈迦如来像は国宝で日本三如来の一つ。
この釈迦如来は「生身の釈迦如来様」と言います。
完成した時、お顔に仏牙を入れた時、一滴の血が流れ
生身の仏である事を示されたそうです。
3月15日には大きなお松明を焼く「お松明式」があり
昔はその燃え具合でその年の稲の吉凶を占ったそうです。
能「百万」のお話しはここ釈迦堂での話しで、
本堂には「狂女百万画」と言う絵があります。
嵐山の景色です。嵐山の春は、山々が桜色に染まります。秋は紅葉色に染まるとってもきれいなお山です。 桜の並木が見えるのは、嵐山の中之島公園です。手前の川は、桂川。この辺りは大堰川と呼ばれ、更に上流は保津川と呼ばれます。名前を変えつつこの川は、鴨川と合流しさらに木津川・宇治川と合流し淀川となり最後は大阪湾へと流れていきます。
釈迦堂の仁王門です。この門は、嵐山の渡月橋から真直ぐ北に上がった突き当たりにあります。 仁王門をくぐった先には広大な境内が広がっています。中村吉右衛門の「鬼平犯科帳」のオープニングの縁日のシーンはここで撮影されたものです。
境内はまだまだ綺麗に咲いていました。 ご本尊の「釈迦如来像」が安置されている、本堂です。ここは度重なる消失の後、元禄14年に再建された建物です。堂内の宮殿は、徳川綱吉と桂昌院の寄進のものです。
小堀遠州作と謂われる、枯山水の庭園です。本堂奥にあります。 嵯峨大念仏狂言がおこなわれる狂言堂です。これも境内にあります。「百万」の謡にも「この頃は嵯峨の大念仏にて候程に」とあるように古来より続く嵯峨の民族芸能です。
豊臣秀頼の首塚です。昭和55年の大阪城三の丸跡地の発掘調査で出土した秀頼の首が此処に納められました。首には介錯の跡があったそうです。 もう一つ境内にある墓所。「源融」の墓所です。元々ここに融の別荘があり、棲霞観寺を建てました。融の没後、子息がここに御堂を建立しました。それが現在も境内にある「阿弥陀堂」です。

歳時記の目次へ戻る