京都と滋賀を結ぶ道(琵琶湖疎水・インクライン)
平成20年1月
インクライン」とは、傾斜鉄道の事。簡単に言えばケーブルカーですね。
千年の都・京都は、幕末の動乱、そして東京遷都のあと寂れていく一方。
実に6万人も人口が減ったそうです。
そこで、寂れる京都を近代的に活性化させるために
第3代京都府知事・北垣国道が琵琶湖疏水を計画。
主任技術者として田邉朔郎を任じ設計にあたらせました。
他所の方はご存知ないと思いますが、この二人の名前は
京都の小学校では地元地理の授業で習います。
それだけ、現在の京都を創った大きな二人というわけです。
そして、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設。
この電力を用い、1895年(明治28年)には京都・伏見間で
日本初となる営業電車、京都電気鉄道(後に京都市電と合併)の
運転が始まりました。その後、電力需要が増え第二疎水を開削。
あまり知られていませんが、その時の京都市長が「西郷菊次郎」。
西南戦争で敗れ亡くなった、西郷隆盛の長男です。
ほかにも菊次郎は京都発達のため、道路整備を推進。
「京都の道は狭い」ですが、これでも広くなっているのです。

さて、インクライン。本当は船のまま疎水に揺られ琵琶湖〜京都を船で往復
できれば良いのですが、山科越えの所は高低差が激しく、それが無理。
そこで傾斜区間に軌道を敷設し、電力運転のワイヤーで牽引される
「船受枠」という台車に船をそのまま載せ昇降させたのです。
そして、京都滋賀間の輸送交通が一気に進化したのですが、
その後の道路整備で陸運が発達し、水運は消滅。それに伴いインクラインは
いずれも廃止されました。ここ、蹴上ではインクラインの一部が
保存されており、またインクライン沿いは桜の名所として有名なのです。
このレンガ造りの建物は、昔の第二期水力発電所。日本最初の第一期水力発電所は、この第二発電所が出来上がりと共に廃止され建物も取り壊されました。第二期もその役割を終え、現在は第三期発電所が稼動しています。この建物は一時期京都大学が京都市から大学施設と借りていたので昔とは少し変わっているそうです。 これがインクラインの軌道敷。
右の軌道敷に乗っているのは、船を乗せて運ぶ機械。
これが船が乗っている状態。ここから疎水に入り琵琶湖へと向かうわけです。 水道管です。琵琶湖から流れてきた水は、貯水池でゴミや藻はどを取り除いたあと、この水道管が走る、仁王門通〜冷泉通〜鴨川を横断し御池通を通って右京区の山ノ内浄水場へ運ばれます。普段、私が飲んでいる水はこうして運ばれてくるのです。
インクラインの下をくぐる道のトンネル。ドラマの撮影で有名な南禅寺の水路閣など、疎水関係の建物はすべてレンガ造りです。これは京都の景観を壊さずに新し物を創ろうという配慮からだそうです。現在の京都も高さ制限など同じですね。良い色に朽ちた感じのこのレンガ。気配りで造られたものの、出来た当時は鮮やかな赤レンガ。「目障りだ」と中々受け入れて貰えなかったそうです。 この人が、技師・田辺朔郎。

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