お江戸の旅(神田・神保町編)
平成19年9月
お稽古で月2回東京へ行くようになりました。
東京に住んでいたとはいえ、言ったことのないところは
まだまだ沢山あります。
今回、色々と所要であちこち、動きまわりました。
ついでにその近所の、観光地へ寄ってあるいたのです。
まず、神保町へ行きました。交差点にこんな看板が。この辺は、昔「中猿楽町」と呼ばれていたそうです。江戸時代、観世太夫や観世座の役者達の屋敷があったことからそう呼ばれるようになったそうです。 次に行ったのは、神田。神田の明神様です。ここの祭神は、大黒様・えびす様・そして平将門公です。
鳥居をくぐってまず「随神門」。関東大震災で倒壊し長らく、再建されなかったのですが昭和50年。天皇陛下即位50年の記念として再建されました。 神楽殿です。三大祭の一つ「神田祭」。祭りの際にはここで色々奉納されます。明神能として、能もあります。元々は、奉納の「神事能」を中心に神田祭は行われていたようです。また、庶民が見ることができる「能」として大変な賑わいであったそうです。が、享保年間に舞台が消失してからはなくなりました。舞台再建後、江戸開府400年記念の折に290年ぶりに復活されました。
本殿です。関東大震災で、本殿が倒壊しその後鉄筋で建てられた近代的な本殿です。その為、大戦の空襲を乗り越えることができたそうです。 鉄製天水桶。雨どいをつたい落ちてくる水を受け溜める鉄製の桶。江戸時代製です。この日は雨だったので、落ちてくる様がよくわかりました。
神田明神と言えばこれ。「♪なんだかんだの明神下で〜〜♪」銭形平次です。私が子供のころ一番大好きだったテレビ。大川橋蔵の銭形平次。境内には、寛永通宝を模った石碑が建っています。 獅子山です。能「石橋」など題材「獅子は子を谷に落とす」の誇示に習って作られています。獅子は、江戸時代の名石工が傷害で3つしか作らなかったものの1つだそうで、かつてその3つは「坂東三獅子」と呼ばれていたそうです。これも、震災で倒壊。子獅子が行方不明になり、そのままだったのが平成2年に子獅子を新調して再建されました。豪快な、獅子像ですよ。

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