橋本忠樹過去の演能写真@


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写真:ウシマド写真工房
昭和53年1月22日 第4回橋本聲壽会 京都観世会館
能「鞍馬天狗」花見             
橋本忠樹3歳です。初めて装束を着けた時の写真です。能楽師の子供たちは、だいたいこの「鞍馬天狗」の花見の役で
子方デビューします。何でも私はこの舞台上で、大失態をしでかしたそうです。僕は、覚えていません。。。。
しかし、教えれれたその内容を聞きますと。。。。。とても言えません。私も失敗談がありますが、みんな失敗談はあるのです。
楽屋で怒られたのをなんとなく覚えています。。。


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写真:ウシマド写真工房
昭和53年3月29日 橋本擴三郎独立披露能 京都観世会館 
仕舞「猩々」 
橋本忠樹、3歳の時の仕舞です。
後ろに写っている子供は、私の従兄弟の橋本光史で当時8歳です。
はっきりいってこの舞台、覚えていません。。。


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昭和54年1月7日 橋本聲吟社新年会 青木能舞台
独吟「老松」
写真を見て、我ながら頑張って謡っているなあと思いました。
大きな声が聞こえてきそうな感じがしませんか?


昭和57年9月12日 橋本聲吟社秋季大会 嘉祥閣
仕舞「小袖曽我」
時は経て、私8歳・従兄弟13歳の時の仕舞です。長男である僕は従兄弟がお兄さん的存在でした。いつも従兄弟の背中を見て「あ〜なりたいなあ」「あの役僕もやってみたいなあ」と思ってました。そういう意味でも従兄弟は大きな存在でしたね。


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昭和57年5月5日(祝) 橋本聲吟社春季大会 京都観世会館
仕舞「土蜘蛛」頼光
初めての土蜘蛛です。これより数十年後に新風館で演能をすることになります。この時、シテの蜘蛛は従兄弟光史です。光史とはコンビで何度も土蜘蛛の仕舞をしました。そして平成16年そのコンビで初めて装束を着け能で演じました。

昭和59年9月9日 橋本聲吟社秋季大会 京都観世会館
能「岩船」      
私10歳、この能にて初めてシテを勤めました。楽屋ではシテが1番偉いのです。いつも子方として楽屋に居ましたが、この日はシテ。いつも座らせてもらえないところに座らせてもらい嬉しく、しかし恥ずかしく。翌日、父が何度も何度もこのビデオを見ていました。僕のシテが嬉しかったのでしょうか?でもビデオを見るたび次々とダメだしがありました。

昭和61年1月19日 橋本聲壽会 京都観世会館
能「正尊」子方
6年生までは子方(子役)として舞台を勤めました。多い時は年間50番近くは勤めました写真は「正尊」という曲で、私の役は「静御前」です。女性役も勤めます。白い装束を着けているのはシテで、私の父です。眼光鋭く、私はいつもビクビクしてました。父である前に師匠でもありますから、悲しいかな1度も褒めてもらったことはありません。芸で生きるうえでは当たり前でしょうが、子供の時はちょっと悲しくもありました。今では、それが良かったかなとも思えるようになりました。

平成元年1月29日 舞台竣工記念 橋本舞台
仕舞「岩船」
中学生になり子方を卒業しました。
そして声変わりの時期でもありしばらくは舞台から遠ざかりました。年に1番か2番舞台にたつ程度でした。


写真:金の星渡辺写真場
平成3年5月4日 橋本聲吟社春季大会 京都観世会館
能「菊慈童」
これは高校1年生の時の舞台です。この能で初めて「面」をつけて舞いました。
「初面」(はつおもて)といいます。面をつけて舞うのは子供の頃からの憧れでしたけど、視界の狭さにびびりまくりでした。この能は舞台上に作り物があるので、ぶつかりやしないかと冷や冷やものでした。

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