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こちら「桜田門」。 井伊直弼暗殺の「桜田門外の変」はこの門外で おこったのですね。 |
桜田門から皇居外苑にはいり、 二重橋を左手に見ながら東御苑へ向かいます。 奥に見えるのは「伏見櫓」 家康が、京都の伏見城から移築したと 言われている櫓だそうです。 |
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こちらは「巽櫓」。 この左に「桔梗門」 右手に「大手門あります。」 |
ここが東御苑の入口「大手門」 洞爺湖サミット前だったため、東京は厳戒態勢。 お巡りさんがいっぱい、いはりました。 鞄の中身チェックもありました。 |
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最初に出会うのは「同心番所」 ここは、同心がが江戸城へ登城する大名の 供を監視する施設。御三家を除くすべての 大名・役人はここで乗り物から降りて歩いて 本丸へ登ったそうです。 |
続いて本丸・二の丸へ続く大手三之門を警護 していた「百人番所」甲賀・伊賀・根来などの 同心百人が昼夜交代で警護していたそうです。。 |
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最後は「大番所」。 本丸へと通じる中之門警備のための詰所。 |
その昔江戸城にも天守閣がありました。 家光時代に完成し、天守台を含めると58mも あったそうです。しかし十数年後、 振袖火事といわれる明暦の大火で焼失。 以後再建はされませんでした。 |
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こちら今も残る天守台。 | 天守台からの景色。 今も残っていたら、高層ビルを同じ目線で 見ることができたのでしょうね。 |
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遠くに見える芝生は、本丸があったところ。 | 本丸大芝生から少し外れた所に立つ札。 松の大廊下跡。赤穂浪士が英雄化されなかったら このような形では残らなかったでしょうね。 |
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松の大廊下跡を別角度から。 面影も何も全くありません。 |
松の大廊下跡を少し進むと「富士見多聞」が。 「多聞」とは防衛の為に造られたもの。 倉庫として鉄砲や弓を納めていて、 戦時には櫓の窓から撃つことが出来ます。 |
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こちら「石室」。「せきしつ」ではなく「いしむろ」と 読むみたいです。江戸城の抜け穴とか、 御金蔵という説もあるそうですが、大奥御納戸の 脇という場所柄から、大奥の調度品などを 納めた跡と考えられているそうです。。 |
こちらは「汐見坂」。本丸と二の丸は、 この坂を通って行き来します。 名前の由来は、昔この坂から海が見えたから。 |
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雑木林です。と言っても二の丸雑木林。 ここに江戸城二の丸があったわけです。 昭和天皇のご発意によって造られたそうです。 武蔵野から土壌を運び、開発されゆく武蔵野の 雑木林を都内に造営したのです。 |
こちらは二の丸庭園。九代将軍・家重時代の 絵図面をもとに復元された庭園です。 |