お江戸の旅(旧江戸城・皇居編)
平成20年7月
「杜の会」の翌日、お稽古日前の時間を利用して東京散策しました。
今年の大河ドラマは「篤姫」。
それだからか最近、徳川家を扱ったテレビ番組が増えたように思います。
皇居は、皇居正門前に広がる「外苑」
旧江戸城の、本丸・二の丸・三の丸があった「東御苑」
日本武道館などがある「北の丸地区」があります。

春に来たときは月曜日でお休みで入れませんでした。
今回は、洞爺湖サミット直前のため厳戒態勢だった「霞が関」から「桜田門」へ。
桜田門から皇居外苑に入り、堀沿いに進み二重橋〜桔梗門を横に見ながら、
東御苑入口の「大手門」へ。そして東御苑を散策。
とてもお天気がよく、暑かったですがいいお散歩ができました。
こちら「桜田門」。
井伊直弼暗殺の「桜田門外の変」はこの門外で
おこったのですね。
桜田門から皇居外苑にはいり、
二重橋を左手に見ながら東御苑へ向かいます。
奥に見えるのは「伏見櫓」
家康が、京都の伏見城から移築したと
言われている櫓だそうです。
こちらは「巽櫓」。
この左に「桔梗門」
右手に「大手門あります。」
ここが東御苑の入口「大手門」
洞爺湖サミット前だったため、東京は厳戒態勢。
お巡りさんがいっぱい、いはりました。
鞄の中身チェックもありました。
最初に出会うのは「同心番所」
ここは、同心がが江戸城へ登城する大名の
供を監視する施設。御三家を除くすべての
大名・役人はここで乗り物から降りて歩いて
本丸へ登ったそうです。
続いて本丸・二の丸へ続く大手三之門を警護
していた「百人番所」甲賀・伊賀・根来などの
同心百人が昼夜交代で警護していたそうです。。
最後は「大番所」。
本丸へと通じる中之門警備のための詰所。
その昔江戸城にも天守閣がありました。
家光時代に完成し、天守台を含めると58mも
あったそうです。しかし十数年後、
振袖火事といわれる明暦の大火で焼失。
以後再建はされませんでした。
こちら今も残る天守台。 天守台からの景色。
今も残っていたら、高層ビルを同じ目線で
見ることができたのでしょうね。
遠くに見える芝生は、本丸があったところ。 本丸大芝生から少し外れた所に立つ札。
松の大廊下跡。赤穂浪士が英雄化されなかったら
このような形では残らなかったでしょうね。
松の大廊下跡を別角度から。
面影も何も全くありません。
松の大廊下跡を少し進むと「富士見多聞」が。
「多聞」とは防衛の為に造られたもの。
倉庫として鉄砲や弓を納めていて、
戦時には櫓の窓から撃つことが出来ます。
こちら「石室」。「せきしつ」ではなく「いしむろ」と
読むみたいです。江戸城の抜け穴とか、
御金蔵という説もあるそうですが、大奥御納戸の
脇という場所柄から、大奥の調度品などを
納めた跡と考えられているそうです。。
こちらは「汐見坂」。本丸と二の丸は、
この坂を通って行き来します。
名前の由来は、昔この坂から海が見えたから。
雑木林です。と言っても二の丸雑木林。
ここに江戸城二の丸があったわけです。
昭和天皇のご発意によって造られたそうです。
武蔵野から土壌を運び、開発されゆく武蔵野の
雑木林を都内に造営したのです。
こちらは二の丸庭園。九代将軍・家重時代の
絵図面をもとに復元された庭園です。

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