愛 宕 山
平成21年4月
「山の姿、木の木立。これこそ我らが住むべき所にて候へ」

京都で一番高い山である「愛宕山」
山頂には「愛宕神社」があり、火伏せの神様として信仰されています。

むかーしむかし。
比叡山と愛宕山はお互いに「自分のほうが背が高い」とけんかをしていました。
そんなある日けんかが過ぎて、比叡山が愛宕山の頭をポカリ!
愛宕山にプクーっとこぶができました。
その日より、愛宕山が京都で一番高い山になったのです。

なんてお話があったりなかったり・・・。

「火迺要慎」

京都の家庭のお台所や、お料理屋さんにはこの字を書いたお札が貼ってあります。
京都を舞台にしたテレビ番組には必ずと言っていい程、このお札が映っているくらい
京都の代名詞的なお札さん。

これは、愛宕神社のお札さんです。

また愛宕山には古来より、天狗伝説があります。
能「善界」では、中国の天狗・善界坊が愛宕山に住む天狗・太郎坊を訪ねて行きます。
上の言葉は、その善界坊が愛宕山に着いたときの謡の言葉。

この愛宕山。
昔は、麓の清滝には「清滝遊園地」が山頂には「愛宕山遊園地」「愛宕山スキー場」、
そしてホテルもあるレジャーの山でした。
愛宕山鉄道として、ケーブルカーも走り多くの人が訪れたそうです。。
しかし、世界恐慌の折に業績が悪化。
第二次大戦の不要不急路線に指定され、車体も線路も供出。
敗戦と同時に、すべての施設が閉鎖されました。
戦後も再開されることはありませんでした。
今現在も、山頂には「駅舎」「ホテル」などの建物が残っているそうです。

私たち地元民は、子供の頃遠足で登りました。
また、愛宕山登山競争などという恐怖の大会があったり・・・。
慣れ親しんだ山です。

また 京都の子供たちは、3歳までに愛宕神社にお参りする風習があります。
京都で一番高い山に、3歳まで登るのです。

今回は、従兄弟・光史の長男・充基のお参りにお供して
中学卒業以来、愛宕山登山をしてまいりました。

麓に流れる、清滝川。
能の謡にも出てくる清らかな流れの川です。
こちらが愛宕神社一の鳥居。
ここから山頂の神社を目指します。
山へ入って行きます。右の窪んでいるところは、
ケーブルカーが走っていた後です。
ここがケーブルカーが走っていた後。
遠くに見える黒い穴は、トンネルです。
今も真っ直ぐに伸びています。
戦前にはここを子供たちの笑い声がする
賑やかなかな電車が走っていたとは、
思えないくらい風化しています。
線路を止めていた、ボルトなどは
今も残っています。
山奥へと入ってきます。その通り、天狗がひょいって飛んできそうな山です。
中腹にある「大杉大神」 ここは「壷割坂」
昔、山頂にて江戸の徳川将軍に献上する
「宇治茶」を貯蔵していたそうです。
この急な坂で、献上する為に持って下りていた
壷を割ってしまったそうです。
まわりの山が下に見えてきました。 愛宕山は木々が生い茂り、ほとんど景色が見えないのですが、何ヶ所かで京都盆地の景色を楽しむことが出来ます。。
左中央には、広沢池が見えます。
こちら「黒門」
。長い登山で心折れそうな頃に登場します。
灯篭が並び、愛宕神社に到着。
が、実はここからが正念場なのです。
右上の写真の突き当りが愛宕神社。
ここから、ながーい階段が続きます。
階段を登り、鳥居に到着。
しかしここからまだ階段は続く。
やっと本殿到着です。 山頂からの景色。
向こうの山は、如意ヶ岳・大文字山です。


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