演目のあらすじ(さ・し・す・せ・そ)

「石 橋」(しゃっきょう)五番目物

所・支那天台山石橋

前シテ・童子、後シテ・白獅子・赤獅子 ワキ・寂昭法師
 
大江定基という名であった寂昭法師が中国に渡り文殊の浄土清涼山に参りそこにかかる石橋を渡ろうとします。するとそこへ一人の樵童やってきます。樵童は「昔の有名な高僧達も此処で捨身の行を行い、そして初めてこの橋を渡ったのであってそんなに簡単に渡れる橋ではないのです」と語ります。そして「橋は、深い谷にかかり、ものすごく細く、しかも苔が生えてよくすべります」と話し、さらにこの橋は自然に出来たものだと語り、やがて目の前で不思議な出来事が起こるから待っていなさいと告げ去って行きました。
僧が待っていると、文殊菩薩の使いの獅子が現れ、咲きほこる牡丹の花に戯れ、千秋万歳を祝いもとの座へと帰ります。
獅子舞の部分を目的として作られている曲です。それ故に、童子の出てくる前場を省いての上演の方が多いです。「獅子」の部分は猩々の「乱」と共に舞の奥儀です。乱の流麗さに比べて、獅子は豪快です。
「獅子は子を谷に落とす」という故事の如く、親獅子が子獅子を蹴落とす場面もあります。写真は、白と赤の二匹出ていますが基本的には赤獅子一人です。演出によって、白、赤と出てきますし多い時には四匹出てくる場合もあります。

「猩 々」(しょうじょう)五番目物

所・支那江西省楊子江

シテ・猩々、ワキ・高風
 
唐土のかね金山の麓に高風という名の男がいました。高風は、とても親孝行の息子でした。そんな高風は、ある夜不思議な夢を見ます。楊子の市場で酒を売れば、お金持ちになれると。そして夢の通り酒を売ると、次第に富貴の身となった。ところが、その市にいつもやってきてお酒を飲む者がいる。その者は何杯飲んでも一向に酔わないので不思議に思い名を聞くと、猩々と言う海中の住む者だと答えて立ち去る。そこで高風はお酒を持って、楊子江に行き猩々を待っているとやがて猩々が現れます。
そして猩々は酒を飲み、舞を舞い、高風のその純粋な心を褒め汲んでも汲んでも尽きない酒壺を高風に与えます。
この曲は、元々前場・後場とある一曲の能でした。前半をカットし後半だけの能にし、祝言性の高い能にしました。双之舞と言って猩々が二人出てくる演出もあります。また、宝生流では「七人猩々」といい七人も猩々が出てくる演出もあります。

「善 界」(ぜがい)五番目物(天狗物)

所:前・山城国愛宕山、
   後・山城国比叡山

前・後シテ・善界坊、ツレ・太郎坊
ワキ・比叡山の僧正、アイ・能力
 
中国の天狗の首領、善界坊は自国において高慢なお坊さんを皆天狗道に誘引した。日本はとても小さい国なのに仏法がすごく盛んであるからそれも妨げようと日本に渡ってきます。しかし日本をあまり知らない為、愛宕山の天狗「太郎坊」を訪ねます。そして太郎坊に相談をします。しかし、仏法を守る不動明王の力はとても凄い。我々が、比叡山よやっつけるのは、蟷螂が大きな車に立ち向かう。猿が水に写る月を掬い取ろうとする。それくらい愚かなことだ。と、弱気に語り合う。しかしやがて決心をし、善界坊と太郎坊は嵐を巻き起こし比叡山に向かって行く。
比叡山の僧が車に乗り下山すると、天地が鳴動振動し善界坊が現れる。善界坊は、僧を魔道に引き込もうと僧に襲い掛かります。僧は必死に祈ります。すると不動明王を始め、十二天も現れ、また石清水、松尾、日吉、北野、上賀茂、下賀茂などの神社の神々も現れ善界坊に襲いかかります。善界坊も負けじと奮闘します。しかし、あまりの仏力・神力の力の凄さに翻弄されてしまい、流石の善界坊も力を失い、もう決して日本には来ないと誓って中国へと逃げ帰るのでした。
観世流は「善界」。他流では「是界」「是我意」と書きます。それぞれに意味があり、面白いあて字だと思います。日本の天狗の代表は、愛宕山の住む太郎坊です。善界坊が愛宕山を訪れた時の謡いに「これははや愛宕山にてありげに候。山の姿、木の木立。これこそ我らが住むべきところにてそうらへ」とあります。今現在の愛宕山もうっそうと木が生い茂りそんな感じがします。
この曲は黒頭と白頭の替の演出があります。黒は、魔力の力の凄さ。白は、大天狗を現します。

「蝉 丸」(せみまる)四番目物(略三番目物)

所・近江国逢坂山

シテ・逆髪、ツレ・蝉丸、ワキ・清貫、ワキツレ・輿舁 アイ・博雅三位
延喜の第四皇子・蝉丸は生まれつきの盲目の身。父帝の命で、蝉丸は逢坂山に捨てられてしまいます。皇子の装束が脱がされ、髪を下し、僧の姿となった蝉丸には杖と笠のみがわたされます。供をしてきた清貫も涙ながらに帰って行き、蝉丸は一人山に残されます。悲嘆にくれている蝉丸のもとに博雅三位がやって来て、蝉丸に藁屋をこしらえ蝉丸の世話をします。蝉丸は、一人淋しく琵琶を弾いて心を慰めていました。
さてそんな所に、一人の女性が通りかかります。蝉丸の姉、延喜の第三皇子・逆髪です。逆髪は、その名の通り生まれながらにして髪が逆立って下に下りないのです。そんな逆髪は狂乱の放浪を続けていたのです。
その逆髪の耳になんとも清らかな琵琶の音色が聞こえてきます。あまりの綺麗な音色に、藁屋の傍で聞いていると、外の人影に気付いた蝉丸が声をかけます。逆髪は驚きます。中から聞こえる声は弟の蝉丸ではありませんか。姉は弟に名乗りかけ、二人は感動の再会を果たします。そして二人は、身の上の話をしお互いを思いやります。やがて別れの時がやって来ます。行くあてもなく去っていく姉。姉の声のする方を、見つめ続け蝉丸は一人佇むのでした。
「これやこの 行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも 逢坂の関」百人一首で有名なこの歌。蝉丸の歌です。蝉丸は、琵琶の名手。盲目ゆえ琵琶の曲は聞き覚えたそうです。後、博雅三位にその秘曲を伝えたと言われています。しかし、逆髪と蝉丸のこの話は史実にはなく作者の創作です。戦時下に於いては不敬の曲として長らく上演が絶えていましたが、戦後再び上演されるようになりました。

替之型とは色々な曲にある小書。即ち普通の演出とは違う「替」の演出をするという事。蝉丸の場合、装束が変わり、シテの舞を橋掛かりで舞ったりと色々あり、決まりはありません。
また常はツレである蝉丸の位が上がりシテとして扱う事もあります。

           曲目一覧のページ