演目のあらすじ(か・き)

「花 月」(かげつ)
四番目(略二番)

所・京都清水寺

シテ・花月、ワキ・旅僧、アイ・清水寺門前ノ者
 
筑紫の彦山の麓で一人の男の子と暮らしていた左衛門という男がいました。
しかし男の子は7歳の時行方知れずになってしまいました。男は出家し諸国を
行脚します。ある年の春、京都清水寺に詣でると、花月と名乗る喝食に出会う。
花月は、小唄を歌ったり、花を踏み散らす鶯を射落とそうとしたり、
また清水寺縁起を語ったりします。それを見た僧は、この少年が行方知れずになった
我が子であると気付きます。そして自分が親であると名乗ります。
花月は再開を喜び、7歳の時に天狗に連れ去られてからのことを、喝鼓を
打ち、簓をすったりしながら物語ます。そして親子で一緒に修行の旅に
出るのでした。
つけている面はその名を「喝食」と言います。前髪が垂れ下がっています。
これは少年、即ち元服前という意味です。

「鉄 輪」(か な わ)
四番目物

所:前場:山城国、鞍馬貴船神社 
  後場:京都上京一条、安倍晴明邸

前シテ・女、後シテ・女の生霊 ワキ・安倍晴明、ワキツレ・男、アイ・社人
 
他の女を妻にするために、自分を捨てた夫を恨んだ女が貴船神社に丑の刻詣をします。そこへ貴船の社人が現れ「赤い衣を着、顔には丹を塗り、火を燃やした鉄輪を頭に戴き、憤怒の心をもてば、忽ち鬼神になる事が出来るであろう」というお告げがあった事を女に伝えます。それを聞いた女は、その決心をして家に帰ります。
さて夫は、最近夢見が悪いので陰陽師の安倍清明に占ってもらいます。すると女の恨みが深く、命も今宵限りであろうという占いの結果がでたので、男はあわてて清明に祈祷を頼みます。清明が祈祷をすると女が鬼の姿で現れ、恨みの数々を述べ、男を連れて行こうとします。清明が懸命に祈祷をすると、女は祭壇の三十番神に追い立てられ、力及ばず「今回は帰るが次の機会には」と言い捨てて退散するのでした。

「賀 茂」(か も)初番目物

所:京都賀茂神社

前シテ・里女、後シテ・別雷神、前ツレ・里女、後ツレ・天女、
ワキ・室明神の神職、ワキツレ・従者、
アイ・賀茂明神の末社の神
播州・室明神の神職が、室明神と御一体の賀茂明神に参詣します。すると川辺に新しい壇が築かれ、白羽の矢が立ててあるので不思議に思って、水を汲みに来た女性に尋ねます。女性は「昔、秦の氏女と言う女性がいて朝夕とこの川で水を汲んでいました。ある日川上から白羽の矢が一本流れてきたので取って帰り、家の軒にさしたところ、女は懐胎し男の子を生みました。男の子が三歳になった時、「君のお父さんは誰ですか?」と聞くと男の子は空を指差しました。すると矢は雷となり、男の子は天に上がって別雷神(わけいかづち)となりました。お母さんも御祖神(みおや)となり、この矢とともに賀茂三所として祀られています」と語ります。そして女は水を汲み神に手向け、自分こそ、その神であると言い消え失せます。
やがて女体の御祖神が現れ、舞を舞うと別雷神も現れ五穀成就・国土安穏を誓い、また虚空へと飛び去られるのでした。
別雷神は「上賀茂神社」、御祖神は「下賀茂神社」の神様です。ですからそれぞれの神社の正式名称は「賀茂別雷神社」「賀茂御祖神社」と言います。


「通小町」 (かよいこまち)
四番目物(略二番目物)

所:前・山城国愛宕郡八瀬、後・山城国愛宕郡市原野

シテ・深草少将の怨霊、ツレ・小野小町、ワキ・僧
八瀬の山奥で山篭りをしている僧のもとに、毎日木の実や薪を持ってくる女がいました。ある日、僧が女に名前を尋ねると「おのが名を 小野とはいはじ 薄生えたる市原野辺に住む姥です」と答え、僧に回向を頼んで消え失せました。
女の言葉から、女が小野小町の霊だと察した僧は、小町のあとを弔うために市原野へと行きます。市原野に着いて回向をしていると、小野小町の霊が現れ僧に受戒を頼みます。すると薄群の中より「お僧よ、戒を授けたら怨みます。早くここから帰りなさい」という声が聞こえてきます。僧は、「そんな事を言わず、ただ共に戒を受けなさい」と言うと、薄のなかより一人の男が現れます。男は「私一人をここへ取り残すのか」と小町の袖を取って女を引きとめます。その有様からこの二人が「深草少将」と「小野小町」の霊であると知った僧は、懺悔のために「少将の百夜通い」の有様をここで見せてごらんなさいといいます。その勧めに少将は、百夜通いの様を物語ります。小町に「私の元へ百夜通ったならばあなたの思いを受けましょう」と言われた少将は、一日もかかさず小町の元へ通います。小町としては諦めさせるために言った事だったのですが・・・。しかし真に受けた少将は毎夜毎夜、小町の元へと通います。雨の夜も風の夜も。。。そして、とうとう九十九日目。やっと迎えた百夜目。少将は、笠も蓑も脱ぎ、風折烏帽子に狩衣に指貫姿にお洒落に着替えて小町の元へと出かけるのですが・・・。不運にも少将は、その道中亡くなってしまいます。その執心が小町へ執りつき、小町の死後も二人とも成仏できずにいるのです。しかし最後の夜、小町との祝儀の酒を考え少将ですが「月の様に美しい杯に注がれたものであったとしても、飲酒戒というのがあるからそれを守ろう」と仏の教えを守った事を考えたことが基となって、二人とも成仏出来たのでした。


菊慈童(きくじどう)
四番目物(略初能)

所・中国

シテ・慈童、ワキ・勅使、ワキツレ・従臣
 
れっけん山という山より薬の水が流れ出ていると言う噂を聞いた魏の文帝。早速臣下にその水上を見て参れと山に使わす。やがて勅使が山に着くと、庵の中からなんとも異様な童子(少年)が現れる。勅使が問うと童子は、自分は周の穆王に使われた童子だと名乗る。周というと700年も昔の話。そんな人間が今まで生きているはずがないと勅使は怪しむ。すると童子は、昔、穆王より二句の偈(法華経の句)を書いた枕を賜ったとその枕を見せる。その二句の偈の経文を菊の葉に書いておくと、その葉より滴る露は不老不死の薬となるので今まで生きてこられたと話す。そして童子は楽を奏し、菊水の流れを汲んでは勧め、自らも飲む。
そして枕を戴きあげ、いつしか菊の枕に酔い伏す。そして、700歳の寿命を君に捧げ、菊をかき分け山の仙家に帰って行きます。
この曲は他流では「枕慈童」という曲目です。同じ曲ですが名前が違うのです。しかし観世流のは全く別の内容の曲「枕慈童」という名の曲があります。それは、このお話よりさらに100年後。時代は「漢」の時代になっています。同じ曲が別名で、しかし同じ名前の曲がある。すこしややこしいです。この曲は、もともとは前場後場ある曲目でした。前場をなくしすっきりとした曲にしあげたのです。金剛流のみ替え演出で前場を残しています。魏の文帝とは名を曹丕といいます。魏と言えば「魏」「呉」「蜀」の三国志でお馴染みですね。その三国志の主人公、劉備元徳の敵役に曹操と言う人がいますね。曹丕はその曹操の子です。しかし周と魏の時代、実際には1200年の隔たりがあります。


「 砧 」(きぬた)
四番目物(略三番目物)

所:筑前国蘆屋町

前シテ・蘆屋某ノ北方、後シテ・北方ノ亡霊、ツレ・夕霧、 前後ワキ・蘆屋某、ワキツレ・従者、
アイ・下人
訴訟のことで上京した蘆屋某は、訴訟が長引き三年の在京となっていました。故郷の妻がが心配の蘆屋某は「今年の暮れには必ず帰るから」という言伝を持たせ、侍女の夕霧を故郷へ下らせます。夫の帰りを待ちわび一人故郷に待つ妻は、夕霧の言伝を聞き一層恋慕の気持ちが募ります。そこで「砧」を打ったりして気持ちを紛らわせます。ところがそこへ夫から「今年も帰れない」と言う使いが届きます。妻は「もしや心変わりしたのか」と思い、それが元でやがて病気になり、夫を恨みながら亡くなってしまいます。
その後、夫は帰国し妻の訃報を知ります。妻を哀れんだ夫は、梓の弓にかけ妻の霊を引き寄せます。やがて妻の霊が現れ、今は生前の妄執の為に地獄に落ち苦しんでいる事を訴え、また夫の不実への恨みを述べますが、最後は法華経の読誦の功力によって成仏するのでした。
小書について
「砧」には梓之出という小書があります。は、後シテの妻の霊が現れるときの替えの演出です。小鼓は「プとポ」の二種類の音を交互に打ち、梓之弓の音色を表現します。シテはその音に引かれる様に現れます。他に「葵上」にもこの小書きがあります。
同じ小書ですが、葵上は大小だけで「砧」の梓には太鼓が入ります。


「清 経」(きよつね)
二番目物(修羅物)

所、京都・平清経邸

シテ平清経の霊・ツレ清経の妻・ワキ淡津三郎
 
都で栄華を誇った平家一門も源義仲に都を追われ、源範頼・義経に西海に追われていました。清経も同じく西海にいます。都に一人残る妻は、清経の身を案じながら一人都で帰りを待つのでした。そこへ、清経の家臣淡津三郎がやってきます。三郎は、清経の死の報告をします。三郎の話によると「平家は敗戦につぐ敗戦。清経は九州豊前国まで落ちていき、一門の行く先に望みをもてず柳ヶ浦に船を浮かべ、そこより身を投げられました」と伝えます。妻は、討死にや病死なら諦めもつくが、自ら命を絶った清経を恨み、三郎が届けた形見の「髪」を宇佐八幡宮に納めてくれと返してしまいます。その夜、妻は涙ながらに床につき夫を想い眠ります。すると、清経が妻の夢枕に現れます。妻は、自分を一人残し自ら命を絶った恨み言を言い、清経は想いを込めて送った形見を返した妻をなじります。そして、いかにこの戦いが辛く苦しいものであったかを妻に語って聞かせます。清経は、平家一門の行く末の祈願に宇佐八幡宮に参詣します。そこで、一生懸命に祈っていると、御簾の中よりあらたかなお声で、世の中は 憂さには神も なきものを なに祈るらん こころづくしに(世の中の乱れた今日、平家を助ける神はないのに一生懸命に何を祈っているんだ)とお告げがあった。「あ〜もう、神にも見放されてしまったのか」と絶望してしまう。そして、、常に怯えながら落ち延びていく。船の帆にかかる風も敵の追い手と思え、白鷺が群れている松を見れば源氏の大軍の白旗に見えてしまう。もう神もああ仰ったことでもあるから、生きていくのに絶望してしまう。
いつまでも船で漂い辛い思いをするくらうなら、もう沈んでしまった方がましだと考え、人には言わず、月を眺める振りをし、船の舳先に立ち、笛を吹き鳴らす。そしていままでの事を思い返し、もう昔の栄華は取り戻せないだろうとなどと考える。こんな筑紫まで旅をしているみたいだが、人生こそが旅だ。もう思い残すことはない。身投げなどすれば人は色んな事を言うだろう。いや誰がなんと思うがもう構わない!あの輝く西の月、西方浄土に自分も行こうと「南無阿弥陀仏、弥陀如来、迎えさせ給え」と一言残し、船より海へ落ちていったのでした。死後に落ちた地獄の修羅道では、毎日が戦乱。周りはどこも敵、土は鋭い剣、山は鉄の城と日夜の闘争。本当に苦しい。しかし最期に心静かに唱えた念仏の力により清経は願い通り成仏できたのでした。


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