演目のあらすじ(は行)

「白楽天」(はくらくてん)初番目物

所:九州筑紫海上

前シテ・漁翁、後シテ・住吉明神、ツレ・漁夫、
ワキ・白楽天、ワキツレ・従者、間狂言、末社
 
唐の白楽天が、日本の智恵を測ろうと中国からはりばる筑紫国の海上までやってきます。そこで釣りをする漁翁に会います。漁翁にお前は日本の者かと尋ねると漁翁は、あなたは白楽天ですねと名乗ってもいないのにその名を知っていることに驚きます。そして白楽天は日本では何をして遊ぶのかを問う。漁翁は逆に唐では何を遊ぶか問う。楽天は唐では詩を作って遊ぶと言い目の前の大海原の景色を漢詩にする。すると漁翁はすぐさま和歌を作ってかえす。日本は行きとし生けるものすべてが歌を詠むのだと言い、楽天を感嘆させまた舞楽を奏して見せようと言い消え失せます。
やがて住吉明神が現れ、自分がいる間は決して日本を窺わせなどはさせないから速やかに帰りなさいと言い、舞楽を奏します。そして八大龍王や伊勢・石清水・賀茂・春日など多くの神々が現れ、舞の袖から起こる風にて楽天の船は中国へと吹き返されてしまうのでした。


「羽 衣」(はごろも)三番目物

所・駿河国三保松原

シテ・天人、ワキ・漁夫白龍、ワキツレ・漁夫
白龍という漁師が漁の帰り、三保の松原の松に美しい衣がかかっているのを見つけます。白龍はその衣を取って帰ろうとします。するとそこへ、天人が現れて「その衣は私の衣だから帰して下さい」と言います。白龍は、「そんな珍しい物は国の宝にして末代までの宝にするから返さない」と天人に言います。すると天人は「それがないと天に帰れない」と悲しそうにそして懐かしそうに空を見上げます。その姿に心を打たれた白龍は天人の舞楽を見せて貰うのを条件に天人に衣を返します。
衣を返してもらった天人は喜び、衣をまとい「月の世界の天人生活の楽しさ、面白さを語り、この松原の景色は天上に勝るとも劣らない程の美しい景色ですと語ります。やがて天人は舞楽を奏しつつ、富士山よりも高く、遙か彼方の空へと飛び、霞んだ空へと消えて行きました。


「半 蔀」(はじとみ)三番目物

所・京都洛北紫野雲林院

前シテ・里女、後シテ・夕顔女、ワキ・僧、間狂言・所の者
 
紫野雲林院僧が立花供養をしていると、一人の女が白い花を供えます。僧が花の名を尋ねると女は、夕顔の花ですと答えます。また僧が女の素性を尋ねると、五条辺りの者ですとだけ答えて女は花の陰へと消えます。
不思議に思った僧が五条辺にやってくると、荒れ果てた一軒の家に夕顔の花が咲いていました。僧は源氏物語の昔を偲んでいると半蔀を押し上げて女が現れます。女は夕顔の女で、光源氏がこの家で夕顔の君と契りを結んだこと、そのきっかけとなったのがここに咲いている夕顔の花である事などを語り、舞を舞っていましたが、夜が明けるのと共に再び半蔀の中へと消え、僧の夢は覚めるのでした。
この能には「立花供養」という小書(特殊演出)があります。舞台に大きな立花を出します。実際に生けたお花を舞台上に出し、前シテは白い夕顔の花を持ちここに生けるという型があります。幽玄の世界のきれいなお能の一つです。

「班 女」(はんじょ)四番目物(略三番目物)

所:前場・美濃国野上宿、後場・京都洛北下鴨

前後シテ・花子、ワキ・吉田少将、
ワキツレ・従者アイ・野上宿ノ長
 
美濃国野上宿の遊女・花子は東国に下る途中の吉田少将と恋に落ちました。吉田の少将が旅立つ時に花子は少将と形見に扇を交わしたのです。少将が旅立ってからというもの、花子は毎日扇ばかり眺め引き籠りの毎日。終には、宿屋の主人に追い出されてしまいます。
さてその後、東国より京に戻る吉田少将は、花子に逢うために野上に立ち寄ります。しかし花子はもうそこにおらず、宿屋に「もし花子が戻ってきたなら、都にくることがあれば、尋ねて来なさいと伝えてくれ」と言い都へ戻り下鴨神社参ります。さて、一方宿屋を追い出された花子は、少将に恋焦がれるあまり狂女となって都・下鴨神社へ参詣します。その姿を見た、少将の家来が花子に「「もっと面白く舞い狂って見せなさい」と言います。花子は、「そんな事を言わないで欲しい」と言いつつ、恋焦がれる話をし、舞を舞い次第に気持ちが高ぶって形見の扇を持ち、さらに舞い続けます。その様子を輿の中で見た少将は、女の持つ扇を見、少将が「これは花子ではないのか」と思い花子に扇を見せて欲しいと頼みます。しかし花子は「これは命より大事な人の形見だから、他人には見せない」と見せようとしません。輿の中の少将は、「自分も扇を持っている」と扇を取り出し花子に見せます。その扇を見た花子は、少将との再会を喜び扇を少将と取り交わし、お互い扇を見せ合います。そして二人はめでたく夫婦の契りをかわすのでした。

「二人静」(ふたりしずか)三番目物

所:前・大和国吉野 菜摘川
   後・大和国吉野山 勝手神社

前シテ・里女、後シテ・静御前、ツレ・菜摘女、
ワキ・勝手宮の神主、アイ・神主の下人
 
大和国の勝手明神の神主が、正月七日の御神事に使う若菜を摘ませるために、菜摘の女に若菜摘みを命じます。女性は若菜を摘みに菜摘川へと向かいました。菜摘川着いた菜摘女の元に、一人の女性がやってきます。女性が言うには「勝手宮の社家の人々に、一日経を書いて、自分の跡を弔ってほしいと伝えてください」というものでした。自分の跡ということは、その女性はもうこの世に居ないという事。恐ろしいがそんな事はありえないだろうと不審に思いつつ、女性に名を尋ねます。すると女性は「もしも疑う人がいたならば、私があなたに憑いて名をあかしましょう」と言い、どこかへと消えてしまいました。
不思議に思った菜摘女ですが、とりあえず勝手宮へ戻りました。
戻った菜摘女に神主は、帰りが遅いことを咎めます。咎められた菜摘女は、菜摘川であった不思議な出来事を話し始めます。
「菜摘川で一人の女性に出会ったのですが、その女性が言うには<勝手宮の社家の人々に、一日経を書いて自分の跡を弔ってほしいと伝えてください>と言う事なのです。でもとても変なお話なので、特に言う必要もなのではないかと思っていたのですが・・・・・なに。変な話だと。あれだけ頼んだのに変な話だと」」
と、話していた菜摘女が突如おかしな事を言い始めます。
菜摘女の様子が豹変したので、神主は<これは何かがとり憑いたに違いない>と考え、名前を尋ねました。すると菜摘女は「私は、判官様にお仕えし、この山で捨てられたものです」と答えます。驚いた神主ですが<これは静御前に違いない>と確信し、「あなたは静御前なのですね。それでは、舞の上手であったのですから、この世のお舞でにひとさし舞って見せてください。跡を手厚く弔って差し上げましょう」すると、静かがのり移った菜摘女は「私の舞の装束が、この勝手宮に納めてあります」と言うのでした。神主は<そんなものがあったのか?と不審に思いますが宝蔵を開けてみると、確かに舞の装束がありました。
神主は宝蔵から、装束を取り出し菜摘女に渡します。
装束を着た静御前が乗り移った菜摘女。女は、昔を思い出して舞を舞い始めます。すると、そこへ静御前の霊も現れて、菜摘女と共に、義経の吉野落ちの話。鎌倉にて頼朝の前で舞を舞わされたことを思い出しながら舞います。そして、再び神主に回向を頼んで静御前の霊は消えるのでした。
普通ならば、静御前の霊が出ていて舞うのが能の常套手段です。この曲の場合、菜摘女に霊がとり憑いて舞をまわせるという話です。それならば「静御前が回向を請うだけ」の曲となります。この曲は名前は「二人静」。要するに静御前が二人いるわけですね。
どういうことか?
後半では、静御前の霊本体も現れます。そして、シテの静御前の霊とツレの菜摘女が一緒に舞うのです。菜摘女の影である、静御前の霊が一緒に舞うということです。
違う人が、面をつけてぴったりあわせて舞を舞うということの難しさ。。ここが「二人静」の醍醐味なのです。

「船弁慶」(ふなべんけい)五番目物

所:前・摂津国大物浦、後・海上

前シテ・静、後シテ・平知盛ノ亡霊、子方・判官源義経
ワキ・武蔵坊弁慶、ワキツレ、判官ノ従者、アイ・船頭
 
義経は、兄頼朝からの疑いを解こうとひとまず都を出て摂津国大物浦へ落ちてきました。弁慶は静御前が着いてきているのを知って、義経に「静を同行させるのはよくない」と諫めます。義経はそれに同意たので、弁慶は静の宿舎へ赴き「都に帰るように」と伝えます。しかし静はこの事を弁慶の一存で決めたと誤解し、義経の宿舎へと行きます。宿舎に着いた静は、義経からも「都に帰るように」と言われ先刻弁慶を疑った事を謝ります。そして静は別れの酒宴で、別離を悲しみながら舞を舞いますが、終に思い切って都へ帰っていきます。
さて、その後・・・義経は「天候が悪いから船出を延期させよう」と言いますが、弁慶は「これは、義経が静に名残を残している」と止める家来を押し切って船出させます。船が海上に出た後、暫くは良い天気でありましたが俄かに風向きが変わり黒雲が船を覆い嵐となります。すると、海の中から西国にて滅んだ平家一門の亡霊たちが現れ、義経の船を海に沈めようと襲い掛かってきます。中でも平知盛の亡霊が義経を沈めようと義経に襲い掛かってきます。義経も太刀を抜いて応戦しようとしますが、相手は亡霊ですから敵うはずはありません。弁慶は亡霊を退けようと、数珠を押し揉み必死で祈ります。終には、弁慶の祈りに負け、亡霊たちは引く汐と共に海へと消え去り、また元の静かな海に戻ったのでした。


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