演目のあらすじ「う・え・お」の巻

「雲林院」(うんりんいん)
四番目物(略三番目物) 所・京都洛北紫野雲林院

前シテ・尉、後シテ・在原業平、ワキ・蘆屋公光、ワキツレ・従者 アイ・北山邊ノ者
幼少の頃より、伊勢物語に親しんできた芦屋の公光。その公光のある夜「雲林院で在原業平と二条后とが伊勢物語を持って佇んでいる」夢をみました。不思議に思った公光は、雲林院まで行ってみることにします。雲林院に着くと、桜の花が真っ盛り。あまりの綺麗さに公光は、枝を一本折りました。すると、そこへ一人の老人が現れて、落花狼藉者と公光の事を咎めます。公光と老人は、古今集や和漢朗詠集を用いて風流問答をします。結果、「折るのを惜しむのは来年の為で、折るのは見ることの出来ない人の為と、共に花を愛でる心から来る争いですね」と二人は都の春を賞でます。その後老人は、公光の夢の話を聞きます。公光の話を聞いた老人は「それはきっと、あなたの心を業平が感じとりあなたに伊勢物語のを秘事を授けようと言う事だろうから、今日はここへ泊まって夢の続きをごらんなさい」と言い、自分が業平であることをほのめかして夕霞の中へ消えてしまいました。
やがて夜になり、公光の前に業平の霊が現れます。業平の霊は、伊勢物語のことを語り、また昔を思い出して夜遊の舞楽を奏します。しかし、夜明けと共に公光の夢は覚め、業平の姿もどこかに消え去ってしまうのでした。

初能、一番目物(神祇物)
「老 松」(おいまつ)
筑前国大宰府安楽寺

前シテ・尉、後シテ・老松ノ精、ツレ・男、
ワキ・梅津何某、ワキツレ・従者、アイ・安楽寺門前ノ者
都の西に住む梅津何某が、日頃信仰する北野天神の霊夢に従って、筑前大宰府の安楽寺(大宰府天満宮)に参詣します。すると老人と若い男がやっていて、今を盛りと咲く梅の花垣を囲います。梅津何某は、老人と男に飛梅とその傍らにある老松の謂れを尋ねます。男は飛梅を、老人は老松の来歴をそれぞれ語り、又松と梅は唐土に於いても特に賞賛された木である事を語りやがて立ち去ります。
その夜、梅津何某が松の木陰で旅居し、神の告げを待っていると、老松の精と梅の精が現れ、今夜の客人をもてなそうと様々の舞楽を奏し、君が代を長い間守ろうと神託を告げるのでした。その夜、梅津何某が松の木陰で旅居し、神の告げを待っていると、老松の精が現れ、今夜の客人をもてなそうと様々の舞楽を奏し、君が代を長い間守ろうと神託を告げるのでした。
「東風吹かば、匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」菅原道真が大宰府に左遷された時、家を出るときに詠んだ歌です。その梅は道真を慕い一夜のうちに大宰府まで飛んで行ったそうです。それが「飛梅」の謂れです。さて松は、元気一杯に枝を広げ緑さわやか。その様子を見た人に「梅は飛んで桜は枯れたのに松と言う奴は・・・」と皮肉られ松は梅の跡を追って大宰府に飛んだのです。だから「追い松(老松)」と言うのです。
小書に「紅梅殿」と言うのがあります。普通の老松では前ツレは男です。紅梅殿の小書が付くと前ツレが女性に変わり、また普段は出ない紅梅殿として後ツレが登場

「 翁 」(おきな)
シテ・翁、ツレ・千歳、 狂言・三番叟、面箱持
翁は「能にして能にあらず」ともいい、能が成立する以前、「滑稽猿楽」の形を残した能です。この能に物語はありません。天下泰平・五穀豊穣・国土安穏を祈る能です。
舞台の流れ:翁は「能にして能にあらず」の言葉の通り、現在の能の形式を全く持っていません。能にあらずと言われる所以は、この能が神事的に行なわれるからです。

まず、「翁」では開演前の楽屋での決まり事があります。揚幕の中は「鏡の間」と言いシテが出番を待つ所があります。「鏡の間」にはその名の通り、大きな鏡があります。シテはこの鏡に姿を映し「役になりきる」わけです。
「翁」の演能時には、その鏡の間に神棚がもうけられます。神棚には「御神酒」「御洗米」「御塩」そして翁に使う「面」「扇」「烏帽子」「太刀」が祀られます。
開演前にはそこで演者全員が、お神酒を受けます。さらに、切火を受け出演に備えます。もちろん舞台にも切火をします。幕の端っこから、切火をしますので「カチカチ」音がすれば幕の方をご覧ください。
さて、開演です。揚幕が上がると、箱を掲げた狂言方が出てきます。箱は「面箱」と言い中には「翁の白式尉」「三番叟の黒式尉」「三番叟の鈴」が収められています。演者より先に「面」が登場するわけです。面は神であるわけです。
面箱の次にはシテの翁が直面(素顔)で出てきます。次に、ツレの千歳、狂言の三番叟の順に役が出てきます。続いて笛・小鼓・大鼓・太鼓の囃子方、シテ方後見・狂言後見、地謡と演者全員が幕から登場します。
囃子方・後見。地謡は全員「侍烏帽子に上下直垂」の格好をしています。これは、江戸時代の武士の神事として行なわれた名残と言えるでしょう。翁は舞台正面に座り、深々とお辞儀をします。「天下泰平」(国土安穏」を祈念します。お辞儀の後、翁は自分の座につきます。翁の前に「面箱」が据えられ面箱、千歳が座につくのを合図に、全員が座に着します。さてここで、普通の能ではない状況が生まれます。まず小鼓が三人います。能の囃子は、各楽器一人ですが「翁」に限り小鼓が三人でます。地謡も常の地謡座ではなく、囃子方の後ろに座ります。シテは笛座の上に座り、シテの後ろに後見が座ります。後見座にも、二人座っていますがそれは狂言後見です。さて演能がはじまります。シテ・翁、ツレ・千歳の演能は、笛と小鼓だけですすんで行きます。大鼓・太鼓は全く参加しません。座って横を向き「知らん振り」をしています。
また、千歳の舞の間に一つ行なわれる事があります。シテの翁が「面」をつけます。舞台上で堂々と面をかけるのも、この能だけの特色です。千歳の舞に注目していると、翁が面をかけるのを見逃してしまいます。
翁は舞が終わると面をはずし、再び舞台先で深々とお辞儀をし千歳と共に退場します。
翁が退場すると、ここで大鼓が参加します。大鼓の参加を合図に狂言の三番叟の舞が始まります。三番叟はまず、「揉之段」を舞います。揉の段の途中、三番叟が「エーイエーイエーイ」と笛座から角に向かってに三度飛びます。これを「からす飛」といって一つの見せ場です。からす飛が済むと、、シテ方後見が面箱より鈴を取り出し、後見座の狂言後見に鈴を渡します。揉之段が済むと三番叟は、後見座へクツロギ黒式尉の面をかけます。その後狂言方の面箱より、鈴を受け取り「鈴之段」を舞います。鈴の段では種を撒く仕草をするなど、能が昔「猿楽」「田楽」時代に農耕儀礼の一種であったことを感じさせる舞をします。三番叟の舞が終わると、三番叟は面をはずし退場します。
後見は、再び面箱を閉じて切戸口より退場します。これで「翁」の能は終了します。

しかし「翁附き」がある場合は違います。「翁附き」の場合、立ち方以外の演者は退場しません。三人居た小鼓の二人は退場し、地謡も囃子方の後ろから元の地謡座に着きます。翁の陣形から普通の演能形式にかわります。ここから「翁附き」と言われる二曲目が始まります。翁附きとは、翁に続いて二曲目を行なう事です。「高砂」「老松」「養老」「鶴亀」「弓八幡」など「脇能」と呼ばれるおめでたい曲を引き続き演じます。
この様に、二曲続けて演じるわけで、最大3時間舞台に正座しっぱなしという、過酷な状況もありえるのです。しかしこれが本来の演能の形なのです。
メモ:この能は「翁」といいますが、素謡での場合は「神歌」と言います。


「小 塩」(おしお)
四番目物(略三番目物)

所:山城国乙訓郡大原野村

シテ・尉、後シテ・在原業平、ワキ・花見人、ワキツレ・同行者、アイ・里人
桜の花の盛りの頃、京都下京に住む人々が大原野に花見に出かけます。すると大勢の人の中に花の枝をかざし、なんとも華やかな老翁がいます。老翁に話しかけると老翁は「私の様子がおかしいとお思いなんでしょう。たとえこんな老人でも、心の持ちようで華やかな気分になれるのですよ」と答えます。また老翁は、大原野小塩山の春景色を賞賛し、在原業平が詠ん歌の事を語り、そして花見酒に酔いふらふらと浮かれ歩いていましたが、やがて夕暮れの中何処かへ消えてしまいました。
花見の人々は、今の老翁は業平の仮の姿であろうと思いそこで尚の奇特を待っていると業平が昔の優雅な姿で現れます。業平は、昔を偲んで、歌を詠じ舞(序の舞)を舞います。やがて夜も明け、再び夢のように消え去るのでした。


曲目一覧のページへ